皆がそれぞれの自分を生きている中で、手を繋げる奇跡!
「街 ~運命の交差点~」エンディングテーマ曲
作詞:鈴木結女 作曲:難波弘之
オープニングテーマ曲「夜明けのうた」のレビュー&歌詞考察に続きまして、エンディング曲の「One And Only」についても同様に記事を書いていこうと思います。
曲の全体像
「夜明けのうた」では作詞作曲共に鈴木結女さんが行っておりましたが、こちら「One And Only」では難波弘之さんが作曲されております。
なので曲の雰囲気は大きく異なるのですが、一方で詞の方は「夜明けのうた」同様に渋谷という街と、そこに居る人々の存在を意識して描かれている印象です。
その中でもこちらの曲では「タクシーの運転手」といった具体的な登場人物も出てくるのが特徴的に思えます。
歌詞考察:冒頭部
いつも探してる みんな歩いてる けれどまだどうにも見つからないことばかり
だけど探してる ずっと歩いてく 誰もが皆それぞれの自分生きている
気になるのは「人々が何を探しているのか?」という点です。
ここにも着目しながら歌詞を読み進めようと思います。
また”誰もが皆それぞれの自分生きている”という詞は、この曲の最後の部分に繋がるキーワードだと捉えておりますので、その辺りは後述します。
歌詞考察:1番メロ
終電のりすごした 僕を運んでく黄色いタクシー
気のイイ運転手が家族の話なんかをしてる
娘の相手がちょっとね 苦笑いしているその姿は なんかどっかで見た横顔
あぁ切ないよね こんな夜更けも
かなり具体的な描写を詞にしており、風景が目に浮かびます。
登場人物が「僕」、「タクシー運転手」、「タクシー運転手の娘」、「タクシー運転手の娘の恋人?結婚相手?」と一気に4人も出てきます。
日常のこうした些細な出会いや風景を1つの例として挙げているような印象で、この後の歌詞に続いて行きそうです。
渇いたノドうるおす コーヒー片手にぶらぶら歩けば
星のない夜空も 明日へ続く道を照らすよ
何気ない日常の描写が続きます。
「道」という表現は「夜明けのうた」でも出てきました。
人の生きる道を表していると思うのですが、”星のない夜空もその道を照らす”というのは、何だか前向きな表現にも感じます。
コーヒー片手に気分よく歩いているからでしょうか?
誰かを愛することだって 何かを信じることだって
今はチョット疲れているけど でも大丈夫さいつかきっと もう1度
人々の探し物は「愛」だったり、「信じられるもの」だったりということでしょうか?
「愛」についてはタクシー運転手の娘の話にも繋がってきます。
”何かを信じること”の「何か」というのは、自分だったり、他人だったりの「想い」を表しているようにも感じます。
これらを踏まえてみますと「自分の歩いている道は正しいのか?」と問うような曲にも思えますが、その中には「この相手で良いのか?」というような恋愛に纏わる要素も感じさせます。
歌詞考察:1番サビ
今出逢った景色が そう、何かを教えているよ
わかりかけた答えの続き 今探しに行こう
サビに来ればもう少し見えてくるものがあるかなと思ったのですが、おそらく別のニュアンスの「何か」が登場し、抽象的な表現が続いているため、まだちょっと解釈は難しいです。
「出会う」でなく「出逢う」と表記しているのは大変気になります。
それも出逢ったものが「人」ではなく、「景色」と来ています。
「景色」というのは、この歌で言えばタクシーに乗車している場面のことだったり、星の無い夜空だったりでしょうか?
いずれにしても日常の中に現れる些細な「景色」だと思います。
「出逢う」という表記は、昨今の使われ方からすると私は男女の恋愛要素を感じ取ってしまうのですが、ここではどうなんでしょうか。
思いがけず飛び込んできた景色ということで、「出逢う」としているのかもしれません。
では、このような些細な景色が何を教えているのでしょうか?
その考察は、この記事のまとめ部分で後述します。
答えが分かりかけているというのはちょっと唐突で驚きがありました。
上述のように「愛」や「信じるもの」を探しものであると仮定しますと、案外身近にそういうものがあったのでしょうか?
この後冒頭の歌詞が繰り返されるのですが、”続きを探しに行こう”ということなので、2番以降歌詞に何かヒントがある気がしますので、ひとまず続きをみていきます。
歌詞考察:2番メロ
笑いながら走り去ってく 手をつないでる二人の姿が
夢をのせて 輝きながら 遠ざかって行く 光の中
ついに愛を思わせる描写が出てきました。
やはり、恋愛要素を含んでいる歌詞ともとれます。
結婚を夢見てる駆け抜けているようなカップルの眩しい姿の描写が凄く美しく表現されていると思います。
歌詞考察:2番サビ
まわりだした景色が 今、何かを動かしてるよ
わかりかけた答えの 続き 今探して行こう
なんだか曲の核心部に近付いているのを予感させる表現です。
今まで何気なく見てきた様々な景色が影響を与え、いよいよ自分の「想い」だったり「道」だったりを動かしているのでしょうか?
ここでも”わかりかけた答え”が出てきていますが、1番の部分よりも確信を持っているような印象があります。
手をつなげる奇跡の 意味をやっと 感じ始めた
わかりかけた答えは こんなにもすぐそばにある
ここの歌詞は、本当にたまらなく素敵だと思います。
今まで抽象的な表現が続いておりましたが、ここで答えを出していると思いますので、まとめに移ってしまいます。
まとめ
まず、冒頭の「何を探しているのか?」という疑問です。
これについては、ちょっとズルイまとめ方をしますと「何を探しているのかも分からない」ということなんだと思います。
それ故に「何か」という曖昧な表現を複数回用いているのでしょう。
しかし、1番サビにおける「日常で出逢うような些細な景色が何を教えてくれるのか?」という答えについては、見当がつきます。
些細な景色が「これで良いんだよ、答えはこんなに近くにあるんだよ」と教えてくれるという鈴木結女さんのメッセージなのではないでしょうか。
そして最後に私がこの曲の核心であると捉え、最も美しいなと感じる2番サビの部分について書かせて頂きます。
誰もが皆、それぞれの自分を生きているのです。
それが例え親子であろうと、恋人同士であろうとです。
すなわち、生まれも育ちも考え方も趣味嗜好も、大切にしている想いも、何もかもが違うわけです。
そういった中で「手を繋げること」がどれだけ奇跡的なことで、どれだけ大きな意味があることかというのに気付かされます。
しかし、これは意外にも些細なこととして起こるわけです。
こんなにも凄いことが、こんなにも近くにあるわけです。
だからこそ、何気ない日常の景色を具体的に詞にしたりしながら、何を探しているのかも分からなくなるような難題の答えが「実は、いつもそばにあるんだよ」と伝えているわけです。
素晴らしい歌詞ではないですか!
というわけで、私が上手く伝えられたかは別として、結論としてはとにかく素晴らしい曲だと思います。
この曲を聴きながら、ぜひ自分の歩いている道や周りの景色を改めて見返してみて欲しいです。
答えはすぐそばにあるのではないでしょうか。